tamago maturi’s diary

40代独身無職、借金360万円。

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クリーニング工場バイト

この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ないからね(^_^;)

この点は、ゆめゆめ忘れないでね(^_^;)

 

学生時代は春休みや夏休みといった長期休暇を利用して、様々なアルバイトを

していたのだが、今回はクリーニング工場での話。

 

働くことになったきっかけは、いつものように求人雑誌である。

稀代の人格破綻者であり、筋金入りのコミュニケーション嫌いの俺は、

なるべく1人で黙々と出来る仕事、極力他人を会話しないで済む仕事を

選ぶようにしていた。

例えば、求人に「スタッフはみんな気さくですのでご安心下さい。」などと

書かれていたら、もうアウトである。

こっちはそんなものは求めていないし、気さくに話しかけられたら迷惑千万である。

 

最初は「時給870円、おしぼり工場、登戸駅からバス」の求人に応募の

電話をしたのだが「男性はとっていないんですよね」などと舐めたことを言われ撃沈。

そして仕方なしに通勤時間の多さから第2候補としていた時給820円の

クリーニング工場に電話をすると、面接に呼ばれ難なく採用となったのだ。

 

大学に入学してから様々なバイトを経験していた俺は、当初は緊急連絡先に実家の

電話番号や父の名前を馬鹿正直に書いていたのだが、

バックれた時に実家に電話が行くのを防ぐ為、ある時期からは父の名前も

電話番号もデタラメの「緊急連絡先」を書くことにしていた。

グーグルマップもなかった当時は簡単に住所と家の画像なぞ調べられないし、

わざわざタウンページを取り寄せてチェックする会社も無く、

この嘘を看破されたことはなかった。

これは一人暮らしをしていたからこそ出来た芸当である。

 

この工場は小田急線の相模大野駅からバスでたっぷり30分ほど乗った場所に

あるクリーニング工場で、色々な企業や工場で使用して汚れた作業服を専門に

受け入れる工場であった。

 

初日、事前に指示されていた通りに朝の9時に工場に到着すると、

面接官でもあった工場長である川谷が迎えてくれる。

川谷は40代の男性で、クリーニングを生業とするせいか常に短髪で

手の爪も綺麗に短く切り揃えてあり、清潔感に溢れていた。

 

この川谷がタイムカードの使い方やロッカー、休憩室やトイレの場所を

案内してくれる。

工場は2階建てで1階は作業場と事務所とトイレ、2階が面接室と休憩スペースと

ロッカー、トイレとなっており、

1階はいたるところに蒸気の通り道である配管とバルブが張り巡らされ、

合計8人の従業員がアイロンをかけたり衣類を選別していた。

 

「(てっきり電気アイロンだと思っていたが、蒸気の熱を利用してアイロン

使ってるのか。きっとその方が安上がりなんだろうなあ。面白い発見だなこれは)」

 

などと感心していると、川谷が

 

「じゃあこれからみんなに挨拶しに行きましょう」

 

と言い、川谷が従業員1人1人に声をかけ

 

「今日からバイトで入ったたまごさんです。よろしくね」

 

と紹介をしてくれるので、自分も

 

「たまごです、ご指導よろしくおねがいします」

 

と挨拶をする。

 

「(ご指導お願いします・・・か。

ご指導も何も、大した仕事じゃねえだろこんなの。

すぐ覚えられるに決まってるわ。

何と言っても、この俺は現役の大学生だしよ)」

 

などと初日から持ち前のひねくれ者ぶりを発揮する。

 

川谷から、

 

「たまごさんには洗濯と乾燥をやってもらいます。

そんで慣れてきたら、朝早く来て工場を開ける仕事もやってもらいますから。」

 

と宣告され、連れて行かれたのが「洗い場」と呼ばれる部署であった。

この洗い場には巨大ドラム式洗濯機2台、巨大ドラム式乾燥機2台が鎮座しており、

洗濯機の方は高さ2メートル、横1.5メートル、奥行き1.5メートルほどで、

乾燥機にいたって高さが2メートル30センチはありそうな超巨大なものであった。

これを見た途端、心中に言いようのな不安が押し寄せてきたが、

慣れるまでは社員が一緒に付いてくれるという。

 

初日に付いてくれたのは鈴木という名の23歳の男性社員で、

高身長でなかなかの男前であった。

鈴木に教わった仕事の流れは、手袋、ズボン、上着、帽子と分けられたものが

カゴに入って洗い場に持ち込まれるので、

これをそれぞれ大型のネットに入れて洗濯機に放り込むのである。

洗濯機で洗った後は乾燥機に放り込み、最後に乾燥させたものを次の部署に渡し、

これを1日に何度も繰り返すのだ。

 

「(何だそれだけかよ。シンプルそのものの仕事だな。)」

 

と油断していたのだが、実際にはなかなかに骨の折れる重労働であった。

 

というのは洗濯機で洗ったばかりの大量の衣類は水分を含んでとんでもない

重さになっており、これらを取り出してカゴに入れ、

今度はカゴから乾燥機に入れるこの工程がえらくキツいのである。

中腰での作業なので腰と腕の筋肉を酷使するのだ。

 

あっという間に昼休みとなり、出勤途中で購入したカップヌードルからあげクン

を貪るように平らげたが、依然として空腹は満たされない。

 

「(これじゃあ全然足りなかったなあ。失敗したわ。

明日は食い物ガッツリ買って出勤しよう)」

 

と自らの行動を恨めしく思っていると、遅れて鈴木がやってくる。

 

ハンサムな顔をニコニコさせながら俺の隣に座った鈴木は

 

「たまご君、もうメシ食ったの?」

 

と言いながらカバンから弁当箱を取り出す。

 

「はい、カップラーメンと唐揚げ食べましたけど、全然足りなかったです」

 

「それじゃあ足りないよなあ大学生だし。それになかなか力使うだろ?」

 

「はい、腕がパンパンです」

 

これに鈴木はハンサムな顔に似合わない豪快な笑い声を上げると

 

「午後もあるんだからさ、横になって休んでいても大丈夫だからね。

他のみんなも昼休みは横になってるんだからさ」

 

と何とも優しい言葉をかけてくれる。

 

23歳の鈴木は高校卒業と同時にこの工場に就職し、

高校時代はソフトボール部に所属しており、この部のマネージャーだった同級生と

既に結婚し、現在は生後9ヶ月の男の赤ちゃんがいるという。

 

「(へえ~、こんな工場の給料で家族養えるものなのかなあ。)」

 

と思い、思わず

 

「給料いくらなんですか?」

 

と質問をすると鈴木は一瞬、その目に驚きの光を見せたが、

 

「手取りで18万円くらいだよ。残業も目一杯してね。

まあこの辺は田舎だから仕様がないよ。その代わり家賃が安いから助かってるよ。」

 

と誠実に答えてくれる。

そして子供が生まれたのを機に、今後はクリーニング師やボイラーの資格取得に

チャレンジするという意気込みも聞かせてくれた。

 

数日前、大学の裕福な先輩が「スロットで3日で17万負けた」と言っていたのを

思い出した俺は、手取り18万というのが社会人にしては酷く少ない金額に感じた。

 

鈴木は信じられない速さで弁当を平らげると、

 

「じゃあ、俺は仕事に戻るけど、たまご君は13時になったら降りてくれば

大丈夫だからね」

 

と声をかけてくる。

 

「(いやあ・・・鈴木さん良い人だね。まあ、仕事の方はきついけど、

こんなのはすぐに慣れるだろうしなあ。

明日あたりは筋肉痛になるだろうが、すぐ慣れるわな。

悪くない職場じゃん)」

 

などと安心する。

 

3日もするとすっかり仕事の要領も掴み、4日目からは鈴木の指導なしで1人で

業務をこなせるようになった。

腕や腰は相変わらず酷使していたが、身体の使い方、

力の入れ方のポイントみたいなのが分かってきたので初日みたいなキツさはなかった。

 

そうして初日から1週間ほどたったある日、川谷に呼ばれて事務所に行くと、

ソファーに座るように言われ、休憩時間でもないのにキンキンに冷えた

DAKARAの缶ジュースを手渡してくる。

 

「1週間たったけど、仕事には慣れた?」

 

「はい、お陰様で慣れました」

 

「洗い場はきついだろうけど、たまご君みたいな若い男性が来てくれてさ、

こっちは助かっているんだ」

 

「はい・・・」

 

「明日から、朝の鍵開けの方もお願いしたいんだけど大丈夫かな?

鍵開け担当は1日に手当が300円出るんだよ」

 

と、「300円」の部分を誇らしげに強調して言ってくる。

 

「はい、大丈夫です、やらしてもらいます」

 

と答えると、川谷は目尻に皺を作った何とも嬉しそうな顔になり、

 

「そっかそっか!明日は山根って社員が鍵開けの仕方とか教えるから、

8時に出勤してね!

あと、缶ジュース飲んでから洗い場に戻ればいいからね!

洗い場はとにかくキツいもんなあ。ジュース飲んで涼んでから戻ればいいよ」

 

と、菩薩様みたいなことを言ってくるので、クーラーの効いた事務所内で

たっぷり3分ほどかけてDAKARAを飲む。

 

翌朝いつもより1時間早い8時に工場へとつくと、すでに工場前で山根が待っていた。

この30代前半と思われる山根は顔にニキビがある肥満体の男で、

初日に工場で挨拶したっきり、一度も会話をすることがなかった。

 

鍵開け担当者は朝8時に出勤したら、まずは工場入口の鍵を開け、

工場裏手にある水道メーターの数値をノートに記録し、

工場内の電気とボイラーをONにし、

そこかしこにある配管のバルブを順番に操作して終わりである。

この一連の流れが終わったらいつもの洗い場で業務をし、17時には退勤となる。

 

山根がボイラーをONにし、工場内に幾つもあるバルブを開けて行くのを

見ていたのだが、次に山根は

 

「じゃあ、今やったバルブを今度は順番に締めてくれる?

覚えているバルブだけで大丈夫だからさ」

 

と指示してくる。

操作するバルブは8か所で、順番も余裕で覚えていた俺は、難なく操作すると

 

「凄いなあたまご君は。大したものだよ。良く覚えてたね」

 

と褒めてくる。

これに「ありがとうございます」なとど笑顔で返したが、心の中では

 

「(いや、別に凄くもなんともねえよ。たった8か所じゃねえか。

もしかしてこいつ馬鹿なんじゃねえか?)」

 

などと持ち前の人格破綻者ぶりを発揮させてしまう。

 

こうして初日で鍵開けの業務をマスターし、いつもより1時間早く退勤となった。

この日は1時間早く退勤となった解放感で、帰りに町田で下車し駅前のてんやで

上天丼の大盛りを注文し、卓上に置いてあるタレをたっぷりかけて食べる。

満腹になり幸せ一杯の気持ちのまま、「久美堂」に入ると、

当時ハマっていたジョン・グリシャムの文庫本を購入する。

 

当時、町田駅の周りには代々木ゼミナール、東進予備校、河合塾城南予備校

駿台予備校、早稲田塾といった大手大学受験予備校が群雄割拠しており、

町田駅周辺には沢山の高校生がいた。

その大勢の高校生を見て、

 

「こいつらの何人がマーチ以上に合格出来るんだろうなあ・・・。

2割もいないだろうなあ。」

 

などと実際に呟いてみる。

 

こうして数日が過ぎたある日の昼休み、コンビニで買ったチキン南蛮弁当と

鮭おにぎりを食べていると、隣に山根がやって来た。

当時から他人と一緒に食事をするのが大嫌いで、

他人に食事姿を見られるのも、他人の食事姿を見るのも大嫌いだった俺は、

 

「(近くに来るんじゃねーよ・・・)」

などと心の中でしかめっ面をした。

 

しかしさすがに無視する訳にもいかないので、山根と雑談程度の会話をした。

そして俺の休憩時間が終わり、さて1階に戻ろうとすると、隣にいた山根が

信じられない言葉を投げかけてくる。

 

「言い忘れたけどさ、人に給料を聞くのは止めた方がいいぞ。

鈴木に給料幾らかって聞いたらしいじゃん。鈴木困ってたぞ。

人に給料を聞くなんて、凄く失礼なことだからな。

たまご君はまだ大学生だから、社会に出ていないから、こういう常識が

分からないのも仕方がないけどさ。

だからさ、他のスタッフには給料の質問しないようにな。」

 

と冷酷に言い放ってくる。

これに俺は

 

「はい、すいません・・・」

 

などと蚊の泣くような声で返答したが、

もうこの一瞬で鈴木と山根は「敵」として認定することにした。

 

なんといっても、筋金入りの人格破綻者であり、稀代のひねくれ者である。

 

そして1階に降りながら

 

「(うるせーわ馬鹿野郎が。何が失礼だ!あの野郎!!!鈴木の野郎め!

よくもチクりやがったな!

てめえが18万しか稼いでないから不愉快だっただけだろうが!

これが手取りで50万も稼いでいたら、誇りを持って堂々と自慢

していたんじゃねえのか?

てめえの無能さを棚に上げてよ、何が凄く失礼だ!この馬鹿野郎!

よくも俺に恥をかかせやがったな!

俺に直接文句も言わず、チクるような卑劣なことしやがって!

たかが高卒のよ、洗濯屋の見習いの分際で、

大学生の俺に一端の口を聞くんじゃねーよ馬鹿が!

てめえなんぞは一生この工場勤めで終わるに違いないが、

こっちは輝かしい未来がある現役の大学生だぞ!ボケがっ!)」

 

と怒りで身体を震わせながら心中で怒鳴り散らす。

 

こうなると、もう駄目である。

決定的である。

何と言っても、人格破綻者である。

 

この件以降、俺はトイレに行くふりをして工場の裏手の敷地内に出て、

こともあろうかタバコ休憩を無断で敢行するようになってしまった。

当時はマルボロイトメンソールのBOXのやつを1日に1箱から1箱半消費

していたが、休憩時間以外は当然タバコは吸えなかった。

仕方なく我慢していたのだ。

 

それが2時間に1回のペースで1分程度のタバコ休憩をとるようになった。

1分間で大急ぎでタバコを吸い、吸い殻は近くの配電盤の下に隠すようにポイ捨て

して急いで洗い場に戻るのである。

携帯灰皿は持っていたが、鈴木と山根に対する恨みがあったので、吸い殻はポイ捨てしていた。

 

こうして更に10日ほども経ったある日の午後、洗い場での作業中に川谷に呼ばれ事務所へ行くと、ソファーに座るように指示され、川谷は事務所から出ていってしまった。

1人事務所内に取り残された俺は、クーラーの冷風がほどよく当たるソファーに座り、疲れた太ももを揉んでマッサージする。

すると川谷がビニール袋を手にして戻ってきたので、また缶ジュースでもくれるのかと思って心の中で歓喜していると、無言でビニール袋の中身を俺の目の前に披露

してくる。

 

それを見た俺は、まさに度肝を抜かれる体となった。

入っていたのは、大量のタバコの吸殻と、球形に握りつぶされたマルボロ

空き箱である。

自分の吸っているマルボロイトメンソールの吸い殻であり、俺がいつものクセで

クシャクシャにして球形にしてから捨てた空き箱である。

 

「これはたまご君のか?」

 

目の奥に刺すような鋭い光をたたえ、尋問するように言い放ってくる。

 

川谷の表情から、

 

「(質問口調だが・・・もうこれは俺が犯人だとバレてるな・・・

しかしなんでバレたんだろ?)」

 

と思い、もう言い訳するのも面倒になり、

 

「はい・・・」と泣きそうな小声で正直に答えると、

 

川谷は突然、

 

「これは駄目だろ!おかしいだろ!仕事中だぞ!」

 

と大声をあげて糾弾してくる。

 

「はい・・・すいませんでした」

 

「ちょくちょくトイレに行ってると聞いて、調べてみたらこれだ!」

 

「はい・・・」

 

「タバコ吸う奴は他にもいるけど、みんな勤務中は我慢しているんだぞ!

しかもよりによって吸い殻を始末しないなんてな。

そんな奴だとは思わなかったよ!

このバイトをこのまま続けて行けるのか?」

 

「はい・・・続けたいです。申し訳ありませんでした」

 

「・・・そうか。じゃあこのまま頑張ってもらうが、信用していいんだな?」

 

「はい・・・」

 

と答え、どうやら俺への糾弾もこれでようやく終わると安心していると、

次の瞬間、先程の大声を遥かに上回る、それこそこちらがソファーから飛び上がり

そうになる程の大声で

 

「次はないからな!!!!!!!!!」

 

と怒号を浴びせてくる。

 

「はい、すいませんでした」

 

と言い、ようやく解放され洗い場に戻る。

洗い場に戻ってからは真面目に仕事をしつつ、

 

「(もう駄目だこりゃ。今日で辞めよう。バックれるしかねえわ。

となると、帰りはロッカーの中の私物を全部持ち帰らないとなあ・・・。

まあ川谷さんが怒るのも無理ないわな。

さすがにポイ捨てはやり過ぎたな。

でもまあよ、幾らかは稼げたし良しとするわ。

俺は大学生で小遣い稼ぎに来ただけだしな。

現役大学生の俺はよ、光り輝く将来が待っているんだからなあ。

お前らみたいな底辺低学歴の肉体労働者とは違うんだからなあ。

社員に手取りで18万しか払えないような、こんなケチ臭い工場とはお別れだわ。

ま、いずれ一流企業に就職してよ、お前らなんかが決して手の届かない勝ち組

リーマンになるんだからよ俺は。

そうすりゃこんな汚い工場バイトなんかも、昔の思い出 になるだけだわ。

それと川谷さんよ、さっきはよくも俺に 次はないからな! なんて大層な

物言いをしてくれたじゃねえか。

それはこっちのセリフだよ。

今日でバックれるから、「 次はない 」 んだからなあ)」

 

と心中で罵声を浴びせてやる。

 

その後、退勤時刻になりロッカーの私物をリュックサックに詰め込み、

バス停まで歩を進め、自販機で買ったライフガードを一気に飲み干し、

ようやく緊張感から解放された俺は

 

「(じゃあな、底辺労働者諸君!

一生その刑務所みたいな工場で労役のような肉体労働してなよ。

まあ俺が上場企業に入社して勝ち組リーマンになったらさ、

挨拶くらいはしに来てやってもいいよ。

そん時は、

 

「 その節はバックれてすいませんでした。

みなさん、相も変わらず肉体労働の日々ですか? 」

 

って大いに嘲笑してやるよ)」

 

と実際に顔をニヤニヤと綻ばせ、やって来た神奈中のバスに乗り込む。

 

それっきりである。

携帯は着信拒否にしてそれっきりである。

給料が振り込まれるか不安はあったが翌月ちゃんと給料は振り込まれていたし、

ご丁寧にも自宅に給与明細まで送られてきた。

 

この時の俺は、それから20年以上が経った40代の自分が、

「一流企業の勝ち組リーマン」や「上場企業の勝ち組リーマン」どころか、

日払いの派遣で介護職をし、低学歴のババア職員に嫌味を言われては

逃げるように短期間で退職を繰り返し、

借金300万以上を抱え税金をも滞納するという、

とんでもない地獄に陥る運命になるとは、この時は夢想だにしていなかった。

 

42歳となった今振り返ってみると、あの時の川谷さん、鈴木さん、山根さんは

何一つ悪いことはしていないのである。

悪いのは100%俺なのだ。

山根さんは俺に、人に給料を聞くのは止めた方がいいよと親切にも教えてくれたのだ。

俺が社会に出て恥をかく前に、親切にわざわざ指摘してくれたのである。

なのに、それを逆恨みして全てをぶち壊したのは自分である。

人格破綻者であり、尚且つ若かった俺は、それに気づかなかったのだ。

 

※まあ、42歳になった今でもブチ切れて退職しまくっているが・・・。